けれどふと考えてみると、海外旅行に出かけても、帰国して数週間、数ヶ月、1年・・・と時間が経ってしまえば、いったい自分がそこで何をしていて、何を見ていたのか、まったく思い出せないことがあるのだ。まさにそのとき、初めての体験をたくさんしていたはずなのに、それが記憶の中にも体の中にも残っていないのである。 そんなことを考えていると思い出したことがあった。 昔、小学生低学年くらいのころ、母が近くのホテルのプールに連れて行ってくれたことがあった。確か私が行きたい、行きたいと何度もお願いしたのではなかったかと思う。そのプールサイドに母といて、いろんなことを話していたのだが、その内容は私がいかに乗馬がしたいということだった。何の悪気もなく、ただそういうことが自分はしてみたいんだ、と無邪気に、そして情熱的に話していたのだが、思いがけず母がそんな私を一喝したのだ。「今はプールに来てるんだから、それを楽しみなさい!」と。 よりたくさんのことを知り、よりたくさんのものを手に入れ、よりたくさんの経験をし、よりたくさんの人に出会い・・・・・そうやって生きていきたい、と思いながらも、実際にその体験をしているそのときにはもう次のことを、もうほかのことを考えてしまっている。そしてその瞬間を実際に体中で味わうことができなくなっているのだ。 音楽にしても同じである。音楽の世界というのは、本当に広い。これでもかというほど世界中にアーティストがいる。心に響く曲、心が拒絶する曲、一度聞いてすぐに体に染み渡る曲、何度も聴いてじわじわと感じることができる曲。日常の中に輝きを見出せるような気分になれる曲、どこか他の世界に連れて行ってくれるような曲、自分の中の切なさを喚起させる曲、生命力を喚起させる曲、そして聴けば必ずといっていいほど何か新しいアイディアが出てくるような曲・・・・・・・・。ロック、ポップス、ジャズ、クラシック、アンビエント、ニューエイジ、アダルトコンテンポラリー、イージーリスニング、ヒップホップ、ワールドミュージック・・・・・知れば知るほど、自分がまだまだ何も知らないことを思い知らされる。聴いても聴いても、間に合わない。今日この一日にも、新しい音楽がまた生み出されているのだから。「こんなシーンなら、この曲がぴったりだ!」と的確なものを選ぶことができるためには、絶対的なソースが必要だ。絶対的な「知っているアーティストの数と曲数」が。・・・・・・そして気がつけば、手当たり次第に音楽を聴いている。手当たり次第にアルバムを手に入れて、最初の10秒で印象を決め、「必要な曲」かそうでないか、「私の心に響く曲」かそうでないかをその瞬間にジャッジする。 そして、その一曲一曲のもつ素晴らしい美しさに耳を傾けることのないまま、乱暴に、ただ粗雑に、量をこなすために。でも何のために? 極論かも知れないが、何かをしるためには、あれも、これも、それも・・・・と、何千、何万ものサンプルを集めようとするのではなく、ただひとつを突き詰めて、突き詰めてしていけば、結局は同じところに出てくるのではないだろうか?ただし、より応用の利く形で。 世界のことを私は知りたい。チベット、インド、アフリカ、ガラパゴス、サモア・・・・・それらの国々全てに行くのもひとつ。けれど今私がこの瞬間に存在しているこの世界も間違いなく「世界」のひとつなのだ。それを突き詰めて、味わい尽くせば、きっと同じところに出る。 この私が今聴いている曲。この曲を真髄まで味わい尽くせば、音楽というものの真髄をきっと味わっていることになるだろう。 サンプルを集めて、集めて、集めて・・・・・・そして得られるものは知識であり、ひとつのことを突き詰めて、その究極に得られるものは知恵なのかもしれない。 恋愛も同じである。ありとあらゆるドラマチックな感情を経験するために、人は時に多くの相手を捜し求める。10人、100人、200人。あの甘い思いを味わうために。これまで思い描いていたあの感情を経験するために。知らない自分に出会うために。どこか違うところへ連れて行ってもらうために。それでもいいだろう。けれど今目の前にいるその人を、骨の髄まで愛していけば、同じところに出てくる。 まだまだ知らない、まだまだ足りないと、知識や情報、方法や対象物の量を求めている。そうすると、一日がとても短くなる。時間が足りなくなる。どんどん季節が変わっていく。「早いなあ」が口癖になる。それでいて、その割には何も蓄積されてはいず、その割には何も残ってはいない。その割には何も変わっていないのだ。大切なのはインテンシティ。強烈さ。強度なのである。 How intense are you? そのひとかけら、その一人、その瞬間、その目の前にあるもの、今いる世界、今しているそのことに。 How intense are you? 強度が高まれば高まるほど、もっと早くにそこへ着くだろう。頭ももっとすっきりしてくるだろう。数や量に追われることはなくなるだろう。 そして得られるのはまさに、「知識ではなく知恵」なのである。 |