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一見正しそうに聞える事。正しそうな人。それが一番危険なことがある。それらは、私たちが実際に何かを経験し、自分の目や身体で感じ、確かめ、奥底から何かを発見することを完全に妨げるものになりうるからである。

私達の多くは誰もが自分が感じることにそれほど自信を持っていない。それ自体は何もおかしなことでも悪いことでもない。誰もがそこから始めるのだ。でも、自分よりもずっと経験もあり、知識もあり、成功していて、何よりも「わかってそうな」誰か他の人たちが言ったことを私達はそういうメガネをかけて見聞きする。

たとえば・・・夢を持つことは素晴らしい。周りの人に迷惑をかけてはいけない。いつもポジティブに物事を考えることが大切だ。思いは現実化する。願いはかなう。夢はなんでもかなう。そしてそう信じるべきだ。自分の事よりも人の幸せを重んじる人は素晴らしい。自分らしく。自分のしたいこと、好きなことをするのがいい。目標を設定して達成し、成功者となれ・・・・・などなど。

素晴らしいことのように聴こえること。それこそが曲者なのだ。

私達はそれを信じようとする。自らの内側から沸き起こってきたものではないにも関わらず。

私が好きな言葉の一つに、「あなたに”真理”を伝えようとする人に出会ったら、一目散にそこから逃げなさい」というものがある。

言葉とは難しい。その結論に至るまでの経過や行間に含まれていることを履き違えると、全く違ったものになっている可能性があるからだ。

誰かが言ったこと。正しそうだ、素晴らしいことのように思える、だからあなたはそれを単に鵜呑みにしているだけではないのか。

あなた自身の真実は全く違うものであるかもしれない。

すべてを自分で経験することだ、と思う。内側の井戸を掘るべきだ。そこから湧き上がってきた泉こそが真実だ。

私達はもっと自由であれる。誰かが言ったことや、本に書いてあることを信じる必要など無い。なぜ誰かの言葉を繰り返すのだろう。

なんでも疑ってかかれ、ということではない。逆に、自分の声を疑わずにまず聴くということだ。

少なくとも私はそうしていたい。