あなたの価値は、あなたの行動によって左右されるものではない
実は・・・私たちは、すでに、もう、十分なのである。それに私たちはどれくらい気がついているだろう。
私たちは頑張る。何かになろうとする。何かを成し遂げようとする。私たちは努力する。私たちは何かに向かって進む。私たちは目指す。私たちは歩く。私たちは走る。私たちは、頑張る。
しかし、なぜ、それをしようとするのか。それは、成功したかどうか、ということよりも重要である。なぜなら、その問いへの答えに、もっと幸せに生きることへのヒントがあるからだ。
深く掘り下げていけば、私たちの価値を証明するために、私たちは何かを成し遂げなければならない、何者かでなければならない、正しくあらねばならない、賢くあらねばならない、と、思っているのではないだろうか。常に心の中にある不安。「私には価値があるのだろうか」という不安だ。認めてもらう必要がある、という不安感、焦燥感。一体誰に?親かもしれない。社会かもしれない。友人かもしれない。しかしずっと奥へと突き詰めれば自分でしかないことに気がつく。それは耳を澄まさなければ聴こえてこないほど小さなささやき声かもしれない。
あなたの価値を証明するために、承認を得る価値のある存在だと言う事を証明するために、あなたは今何かに向かっているのか。
それとも、太陽がただ輝くために輝いているように、単に自分の生命の表現をする術としてそれを成し遂げたいと思うのか。
あなたをそのゴールへ駆り立てているものが、「向上心」や「自己実現」などといった言葉の裏に隠れた「不安」や「恐れ」ならば、一度静かに、ただ静かにその思いのスイッチをオフにしてみよう。
あなたの価値は、あなたがすること、あなたの選択、あなたの思いや言葉で変わるものではない。
あなたの価値は、あなたの行動では無い。
あなたがどんなに「ダメなこと」をしても、それはあなたが「ダメな人間」であるということではない。あなたが「失敗」ばかりしたとしても、それはあなたが「失敗」だということではない。あなたが「間違ったこと」をしても、それはあなたが「間違った」人間だ、ということではない。あなたの価値は、あなたの存在と言う価値は、あなたの命の価値は、どんなときも、どんな状況であっても、あなたがどんなことをしようとも、一切傷つくことなく、そこにあるのだ。
だからそれを証明するために何かをしようとする必要などない。
あなたが愛され、生きる価値のある存在だと言う事を証明するために、生まれた意味がある存在だと言うことを証明するために、何かを努力しようとする必要は一切無い。
だからもし何かを成し遂げようとしているなら、純粋にそれを味わい、楽しみ、生命の表現として行うべきである。
それは何かのためのツールではない。ただそれを楽しむために、行うべきである。もしあなたが何かが「できる」人なら、純粋にそのできることを楽しむべきである。もしあなたに何か好きなことがあるなら、純粋にその好きなことを思い切り好きになることである。
あなたの人生は平凡かもしれない。思ったようには何も実現していないかもしれない。たいしたことは起こらず、人に語るほどのドラマもなく、自分自身に少し失望し、これからのことを考えると、パッとしないまま終わっていくのだろうかという予感が頭をよぎるかもしれない。そしてそれを振り切るかのように自分を何とか奮起させようとしているかもしれない。
しかしあなたに必要なことはこれまで全て起こってきた。あなたに必要な出会いも、必要な出来事も、全ては、あなたの人生を訪れてきた。今もそうであり、これからもそうである。常にあなたがそこから学べるようなことが、目の前にある。今、この瞬間に、あなたの人生の中にある。
あなたは自分に与えられた人生の課程をちゃんと歩んでいる。あなたがそこから効率よく学びを得ているかどうかは別問題かもしれないが。
だから安心していいのだ。だからもう人の目など気にする必要は一切無いのだ。
「もっとちゃんとしないとアカンやろ、あんた」と母が言う。
「そうやなあ。こんな私、アカンなあ」と私は言う。
「それとはまた別や。」と母が言う。
自分を証明するために何かをしようとするのをやめた時、全てのコントロールを手放したその瞬間、あなたは自分が今どうすればいいのかわかるようになる。純粋なる魂の表現のために何かをしようとするなら、そのためのエネルギーが根底から湧いてくる。全く明るく力強い形のエネルギーが、まっすぐに。
あなたに与えられた力を、才能を楽しみ、味わい、思う存分発揮することである。
未来の「もっと輝いている自分」「成功した自分」を「本当の自分」だと夢見るのも、動機は同じ、「不安」と「恐怖」である。
本当のあなたは既に今、ここにいるあなたである。そして、実は、それで、十分なのだ。
あなたの価値は、あなたの行動によって変化するものではないからである。