エッセイメニューへ戻る



ブッシュを批判することなどできるだろうか。環境に無頓着な周りの人たちを責めることができるだろうか。戦争を嘆くことさえできない。私たちの内側が、こんなにも常に戦争状態にある時に。

マイ箸を持ち歩いても、募金にお金を入れても、誰かが急に列の前に割り込んだときにカッと来たら同じことである。

人生の幸せや成功を目指して何を努力し、何を学び、何を成し遂げても、誰かがあなたを「攻撃してきた」と思えたときに相手を許し愛することさえできなければ無意味である。

何事もなく平穏に日々を過ごしているときには人はなんとでも言えるだろう。でも少しでも波が立った時に―たいていは人間関係、そして次にお金のことで。―誰かを悪者にし、批判し、責め立て、なんとか勝とうとするならば、元々心の中には平和などなかったということである。

私たちは常に悪者を作り上げるプロだ。割り込んできた人がいればその人は「悪い」人、もしくは少なくとも「間違ったことを」した人だ。自分の利益のために嘘をついたりして人を陥れる、こんなわかりやすい「間違い」を犯している人を攻め立てることの何が悪いのか。悪いどころか、私たちはそれを「良心」を持っているからこそできることだとさえ実感する。

映画では、時代を問わず、戦いが描かれる。戦いの前にリーダーは「栄光のために、死ぬまで敵を共にやっつけ続けるぞ!」と士気を盛り上げ、「こっちは英雄、相手は野蛮で粗悪な敵」という構図を見事に作り上げる。相手の命を絶えさせることに何の罪悪感をもつだろう。全ては栄光の名の下に、愛する祖国、そして家族を守るために、または神の名の下にさえ行われることである。

人は愛について一生懸命考えたり、愛そうと努力したりはするかもしれないが、全ては一時的な気の迷いに近いものを経験するだけに終わる。それはなぜか。もともと、心の中が戦いに満ちているからでは無いだろうか。単純に言って、あなたがもし「怒りやすい」「いらいらしやすい」「人の批判をしやすい」傾向があるなら、その度合いによって愛し、愛され、愛を感じることからは遮断されてしまっているはずだ。

戦争と平和は両立することのできないものだ。平和を成し遂げたければ、すなわち愛を感じたければ、戦争をやめる必要がある。

小学校の頃にした喧嘩も、国同士の戦争も、本当に全くといっていいほど根幹は変わらない。「私が正しくあなたは間違っている」と思うから始まる。「思っているわけじゃない、本当に相手が間違っているんだ」と確信するから、ふりかざした拳を下ろすわけにはいかない。

イライラする。怒る。責める。批判する。悪口を言う。それが戦争だ。マクドナルドで並んでいたのに、横入りされてその人をにらみつける。それこそが戦争の始まりなのだ。「理不尽」なことに腹を立てる。腹を立て、相手を責めることの「正当な」理由がある。それが全ての戦いの始まりなのだ。全ての人は、「正当な」理由を持っている。全ての人は、もっともっと、もっと近くに歩み寄り、心の奥を少しでものぞいてみれば、共感できる場所を持っている。そうか、そういう気持ちだったのか、なるほど無理も無い、と感じることができれば、潮が引いて行くように、憤りはスーッと溶けていく。

そうだ、あなたには怒る正当な理由があるだろう。あなたには相手を責める権利があるだろう。あなたには批判をする仲間さえいるし、あなたの意見を「その通りだ!」と大いに助長してくれる親友達がいるだろう。そしてあなたはますます確信を深める。「私は間違っていないんだ。間違っているのは相手であり、その間違いを指摘し、正してやらなければ。何が真実なのかを、教えてやる。」

ある著名な医師の方が著書の中でこういったようなことを書いていた。「普通、免疫とは自己と非自己をわけ、非自己を攻撃してやっつけるものだと考えられてきた。けれどそうではない。実際には自己が非自己の中へ拡散していかなければならないのだ」と。

風邪のウィルスであろうと、ガンであろうと、あきらかに「間違った」人々であろうと、「悪人」であろうと、「私には理解できない!」ような人であろうと、その中に自分の姿を見、共感し、許し、受け入れる。そしてそれら全てが愛され、幸せで、平和の中にあることを祈る。今日、私の心の中でそれを始める。何かが起こったときに私はかならず思うだろう。「絶対ムリ。この状況に限ってはそれは不可能」だと。「ここで怒らないほうが体に悪い!!!」なんて理由をつけて正当化さえするに違いない。けれど間違いなく、どんな理由でどんな状況であっても、それは戦争の始まりである。

私はこれからもきっとマイ箸を持ったりすることはない。募金も通り過ぎるかもしれない。環境保護の運動に参加することもなければ、世界平和の会議に出席することもないかもしれない。けれど私の心の内側で平和があるように、これからは何よりも努めて生きたい。