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「何が欲しい?カバン?時計?」
「何が必要?何でもあるよ」

上海のマーケットを歩いていると、途切れることなく売り子が声をかけてくる。ふと気がつくと、まるで一緒に旅行している友達のごとくぴったりと私たちの横にくっついて歩き、歩くごとにその人数が増えている。マイケル・ジャクソンのBeat Itのビデオクリップのごとく・・・。

「何も欲しいものはない」と答えたって、意味は無い。とにかく、しつこく、ついて来る。一番の撃退法は訳の分からないでたらめな言葉で相手以上にまくしたてることだった。

「密輸入!お姉さん、密輸入!!」そんな無邪気に何が「密輸入」だよと、何ともいえない妙なおかしさに思わず笑っている私の横で、キャリーバッグの中に、さらにキャリーバッグが入っていて、その中にさらに入っている小さなカバンの中から、青年が財布やカバンを取り出した。とても良くできている完全なるコピー商品。皮も金属部分もロゴも、何もかもがオリジナルと変わらない。正規では20万円の財布が3千円で買える。こんなにまで完全なるコピー商品を作らせるほど、ブランドを追いかけている私たちはどうなのか?いやブランドを追いかけているのではない。単に、「ブランドを持っているように見える」ことを追いかけている私たちはどうなのか?タクシーを待っているとやたら大きいコートを着たおじさんが声をかけてきた。「おじょーさん、ヴィトン、100元。ヴィトン、財布、100元。」今度は見るからに安っぽく、偽物だとバレバレの品物。みるみるおじさんの見せるアイテムが追加されていく。「おじょーさん、ヴィトン、財布、キーホルダー、100元。」そして「おじょーさん、ヴィトン、財布、キーホルダー、手帳、100元」。増えていく単語を暗記していくゲームのごとく、そのまとめて100元アイテムはとどまることなく増えていくのだった・・・。

ニセモノだろうと、ホンモノだろうと、とにかくモノというモノはたいてい全て手に入るようになった。世の中は本当に便利で、欲しいものはたいていすぐそこで買えたりするようになった。知りたいことは全て今すぐ調べられるようになった。全てはどんどん快適さを増している。私たちは買う。しばらくいい気分を味わうことができるために。そしてそのいい気分がやがて薄れ始めるとまた欲しくなる。そして私たちはまた買う。そしてまたしばらくはいい気分になる。自分の価値が高まったかのような気分。自分が勝ち組のほうにいるという実感。確実に誰かよりも勝っているという気分。自分はダメなんじゃないかという不安が消えていく安心感。でも私たちが本当にそのとき味わっている感情、それは、「欲しい」という欠乏感が無くなったことへの安堵なのではないだろうか。

「何が欲しい?」と売り子は聞いてくる。

「何もいらない」と私は答える。そして答えながら心の中で思う。そうだ、本当に、実際には、何もいらないのだ、と。手に入れたものを味わい、楽しみ、喜び、愛で、大切にするためでなく、単に欠乏感を満たすものだけのためならば。