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確かに面倒くさいだろう。しょっちゅう一緒に食事をする相手が”ベジタリアン”で、肉も魚も食べない、という主張をどうしても曲げようとしないというのは。そのために気を使わなければならないと思うたびに、「なんてわがままなんだろう」と腹立ちさえ覚えるかもしれない。それにもし自分自身が「健康のために肉や魚は食べるべき品目だ」と固く信じていればなおさらのこと。野菜しか食べないなんて言い張っている人たちは単に頑固でヒステリックな変人に過ぎない。

私も本やテレビから聞きかじった情報のかけらを根拠に、盲目的に何かに凝ったりするのは好きではない。そして、どれほどその理論が理論的に正しそうであったとしても、全てを肯定するということもない。私が一番信頼しているのは、私のカラダである。

ベジタリアンの人は肉食の人よりもガンや心臓病などになる割合が格段に低いことはよく知られている。また世界レベルの長寿国を見たときには、野菜、穀類のみで生活をしている人々が多いのも事実だ。人間と最も遺伝子の近いゴリラはあれほどのパワーと筋肉を持ちながらも完全なる草食動物。カール・ルイスもベジタリアン。トライアスロンで最強とされた選手もベジタリアン。あの天才アインシュタインもベジタリアン・・・・。

いやしかし、最も大切なことはそんなことではないのだ。

最大のポイントは、実際に私のカラダがどう感じるか。なのだ。

ベジタリアン(それほど厳格なものでもなく、相変わらず乳製品は摂っているし、友人外食などのときは魚を食べることもある)になってしばらくすると、私は便秘と生理痛から完全に開放されるようになった。そして階段を上るたびに感じていたカラダのあのだるさからも。疲れにくい。体が軽くなると心も同じく軽くなる。確かに痩せたが、ベジタリアンでも肥満気味の人はいるので、これは全体的に食べる量が減ったことからきているのだろう。鏡を見る度にいろんなもの対して見えないフリをする労力も減った(笑)。何よりも確実に元気になっている。しかし私はフライドポテトが大好き。これはやめない。ラードで揚げられていると言われようがなんと言われようが好きだ。だいたいお肉じゃないしね。油を吸い上げたスポンジのようなものと言われようが食べる。だって大好きなんだもん♪コーヒーもブラックでは飲めない。ブラックで飲むくらいなら飲まない。ミルクは常にたっぷり。ほとんどミルクの中にコーヒーが入っている状態だ。つまり、無理してるんじゃないって事。お肉も食べるのを我慢してると言う感じは全く無い。お肉が食べたいと思わないんだもん。そんなに美味しいかなあ?お肉って。野菜のほうが美味しいじゃない!って感じなのだ。

でも客観的な目を失うことを何につけ恐れている私。周りにいるベジタリアンだと言う人たちを冷静に観察してみる。うう〜ん、ちょっとなんだか肌にツヤがないかも・・・・・。痩せてるんだけどフェロモンがないかも・・・。鳥は食べていないのに妙にトリガラっぽいかも・・・。なんてことを思う人もいる。でも最もパワフルで、軽快で、疲れ知らずな人が多いのも事実。

というわけで私は少なくとももうしばらくはベジタリアンでいるつもりである。

たとえば誰かが私のために作ってくれたものを「お肉が入っている」と食べない、というのは確かにガッカリさせるようなことだろう。そして一緒に楽しく食事をしようとしているときに、いかにも汚らわしそうにお肉の小さなかけらまで細かく皿の端によけているという姿は美しいものではない。また、仲間で食事をしようというときに自分はベジタリアンだからと、お店の選択を合わせさせるのもやはり身勝手に映ることだろう。

しかし突き詰めれば、それらすべてはベジタリアンが少数派だから、という理由にほかならない。タバコと同じことなのだ。タバコはいまやどちらかを少数派ということはできないが、どちらも互いのことを尊重すればいいのではないだろうか。

それでもやはり、50年前に誰かが書いた栄養学の知識でもって「バランスよくなんでも食べなきゃ!」と議論の余地無く言われることに少々辟易としている今日この頃なのであった・・・・。